【第21話】信長の怒りからわかったエモ不器用信長…信長のやさしさが家康に伝わりますように【どうする家康・考察】

どうする家康 考察21話 鷹

今回も涙流しながら見たどうする家康…

Wikipediaで「鳥居強右衛門」を調べたら、長篠城に伝えに行く流れがほぼ史実通りで、物語ではなく、本当に実際にあったんだと思うと、より一層胸を打たれました。
wikipedia 鳥居強右衛門のページ<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85%E5%BC%B7%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80

戦国時代のお話だからしょうがないのですが、大好きな人が亡くなったり、今好きになったばかりの人が亡くなったり…うむ…


…気を取り直して!今回気になったのは、
家康に「手を切る。今すぐ助けに来なければ織田と手を切る。武田勝頼と手を組んで織田信長を攻める」と言われた織田信長の態度!

え…!あんなに大好き家康と手を切るの…?
二人の同盟永遠なりと勝手に思っていたので、「解消する」という選択肢があったことに驚きが止まりませんでした!

そしてどうして急に徳川を織田信長の臣下にするのか…

流れは

武田信玄が亡くなり、ふぅ一安心と思っていたのもつかの間、その息子「武田勝頼」も信じられないほどに強く、徳川領がどんどんと武田に奪われていきます。
何度頼んでも信長は一向に援軍を送ってはくれません。
信長の兵があれば、この状況を何とか出来るのに…!
やっと使者が来ても「上様(信長)は忙しい」「上様は、徳川様のお力を信じておられる。皆様だけでなんとかできると」などとのらりくらりと十分な援軍を出さないことを伝えにきただけ。
それに怒った家康は「今すぐ助けに来なければ、信長と手を切る。武田勝頼と手を組んで織田信長を攻める」と啖呵を切ります。
するとその強気な姿勢が功を奏したのか、大群を連れて信長が家康のもとへやってきました。
よかったー!これで武田に目にもの見せてくれるわ!と喜んでいたら、織田信長カンカン…激おこ…同盟を解消する話にまで進んでしまいます。
なんとか娘亀姫と築山殿が場を治めてくれたからいいものをこれからどうなる家康!どうする家康!

という感じ

だったのですが、どうしてこんなに信長が怒ってしまったのか。

たしかに「同盟を解消する」と言われたら怒るのも分かりますが、現にこのピンチに援軍を全然送ってくれないし、家康が啖呵を切ってしまうのもしょうがない気がします。
でも「同盟を解消したいとは何事だ!」と怒ることはあっても、「手を切る」ことを選択するとは…

二人の仲応援団員の一人としては悲しみのあまり、納得できません!

今回の記事は、どうしてそんなに信長が怒ったのかについて考えていきたいと思います!

目次

信長が望んだ対等な関係

第15話の記事でも書いたのですが、

信長は、織田家内の勢力争いとも無関係で、人質ではあるものの、大名家の長男という同じ位の生まれである家康を、
支配―被支配の関係を超えた唯一無二の対等の存在として愛していました。うん素晴らしい


それは信長が圧倒的に領土を広げ、日本一の大名となった今も同じことでした。
浅井長政にも裏切られ、利害を超えた対等な関係と言えるのは、もはや家康一人だけ。
周りは敵か、あるいは信長に媚びるものばかりです。

信長の孤独は本質的には変わっていません。
だから信長は家康を特別大切に扱ってきました

これまでもその時その時で、できる限りの手助けをしてくれています。

今川義元を倒し、自分の地を平定しないといけない大変な時にでも、徳川領にわざわざ赴き、家康の寝首を掻こうと潜んでいた不届き物を捕えてくれていました。

武田信玄に攻め込まれ、徳川が滅亡寸前まで追い込まれたときも、
信長自身の戦いが苛烈を極めている状態の中でさえ、なんとか兵をかき集めて家康に援軍を出してくれました。
そして、その兵たちでなんとか数か月持たせてくれ、絶対にそれまでに自分の戦いを終わらせて助けに行くからと約束をしてくれました。
あのとき、武田信玄が強すぎて家康が持ちこたえられず、信長の助けは間に合いませんでしたが、それでも信長が、無理を押しても家康との約束を果たそうと全力を尽くしていたことは確かです。

そう、信長は家康がピンチの時には必ず手助けをしてくれる男。
それなのに今回から急に何もしてくれなくなったとは考えられません。

今回も手助けはしてくれていて、それが「長篠城」の獲得だったのではないでしょうか。

長篠城の獲得

あそこは武田領と徳川領のちょうど境目に位置するお城で、あそこは攻める側にとって入り口、守る側にとっては蓋となります。

長篠城を武田に盗られてしまった瞬間、雪崩のように残りの三河を狩りつくしてしまうでしょう。
反対にあそこを徳川側が死守すれば、敵兵をダムのようにせき止めることができます。また武田領を攻め落とすときの足掛かりにもなるというまさに戦の要のお城!

その重要な長篠城の奥平信昌の寝返りには、「亀姫と長篠城の奥平氏との婚姻話を信長が勝手に進めてしまった」と話していたところから考えると、信長の力が強く働いていたことは間違いありません。

ここを押さえておけば、この戦はなんとかなると、信長は考えて手を打ってくれていた。
それだけ重要な城であるから、できる限りの好待遇で迎え入れろと。

命令というよりも戦略上の必然として、三河の守護者たる家康に、打つべき手を示したのでしょう。

実際に使者である佐久間信盛が言っていた「上様は、徳川様のお力を信じておられる。皆様だけでなんとかできると」いう言葉は、援軍を断る方便ではなく、本当に信長の想いだったのかもしれません。

しかし、その長篠城の重要性がわからなかった徳川側は上から目線の内政干渉、理不尽な命令だとしか理解できなかった

なんで大事な大事な亀姫の嫁ぎ先を、信長に勝手に決められなければならないのか。
それも、あんな何もない山奥の城に。つり合いが取れないじゃないかと。

徳川家の滅亡すらありうる状況で、信長がどうしてそのような手を打ったのか理由を少しも考えず、「いい旦那さんを探してやりたいなぁ。縁談は断りたい!」なんてのんきなことを一家みんなで考えていました。

まるで、信長の援軍が来たからもう自分たちは大丈夫だ。信長に守ってもらえるから安心だと信じているみたいに。

これでは徳川側にそんなつもりはなかったとしても、

信長から「俺が来たから、余裕ぶっこいて、もう自国を守るためにできることをやろうみたいな発想ないな…」と思われても仕方がない状況です。
これは調子こいてると思われちゃう!

どうして臣下なのか

これまで書いてきた通り、信長は愛する家康のために、必要十分な、あるいは、十分には足りなくてもできる限りの手助けを、いつも行ってきました。

今回もしっかりと、戦略上の重要ポイントを武田から寝返らせて、徳川の領地にしました。

しかし、徳川はそれでは足りないと考えます。
ちゃんと助けてくれない。織田の軍勢が来てくれたら何とかなるのに何で来てくれないんだ!ぷん!と怒っています。

これでは手助けの範囲に収まりません。

同盟は1から10まですべて助けてあげる契約ではありません。
お互い、持ちつ持たれつ、必要十分な手助けをして、自分の国の問題は自分で解決しなければいけません。

しかし、家康は戦会議を始めるとき、総大将の席に信長を座らせようとしました。
これまでの信長の性格を考えて勧めたのかもしれませんが、今回の戦は家康の戦いです。

家康が指揮をとらねばならない徳川のための戦です。

これでは信長に援軍、補助ではなく、代わりに戦ってくれと頼んでいるように思われてもしようがありません。
親が子を守るように、全てを解決してほしいと願うなら、それは自ら対等な立場を放棄し、臣下になりたがっているとしか言えないでしょう。

しかし家康は「なぜ今更お前の臣下にならねばならんのか」と言う。

臣下のように要求しながら、同時に対等な大名としての扱いを求めている。

無自覚にしてしまっていることではありますが、都合よく、立場を使い分けしているところに、信長は怒ったのではないでしょうか。

お前の要求は対等な同盟ではない、力を借りるだけでは足りず、自ら勝つために策を練ることもなく、ただ助けてほしいと望む。
それはもはや臣下である。

と暗に家康に突き付けていたのだと思います。

家康最大の問題

家康は、信長から守られてきたことに全く気付いていません。
信長にいいように使われ、得るものは何もない。

本気でそう信じています。

「今まで織田が徳川に何をしてくれたんじゃ!」というのは、単なる買い言葉ではなく、家康の本音でしょう。


では家康は、信長にどのように使われてきたでしょうか。

信長の最初の「命令」は、信長の妹を妻に迎え、今川家に残した家族を捨てて織田家に寝返ることでした。家族想いの家康にとって、それは大変な苦痛を伴う命令でした。

更に信長は、国力の落ちた今川家の制圧を家康に「命令」しました。
家族同然だった今川家と戦わせるなんて、信長も残酷なことをします。

その後家康は、武田と分け合う形ながら、なんとか今川領を制圧しました。

しかし信長はさらに「命令」をしてきました。
住み慣れた三河を離れ、浜松城に入れというのです。家族が大好きな家康にとっては、妻や子と引き離されるのは断腸の思いでした。

少しは浜松の暮らしに慣れ、やっと落ち着けると思ったら、今度は信長から京都に来いと「命令」されました。
その結果、ろくでもない将軍の名の下に、何の恨みもない朝倉家に攻め込む羽目になります。
これは何のための戦いでしょう。
信長がいる限り安息の日々は訪れないのでしょうか。

こうして見て行くと、信長に振り回されながらも、どうにかここまでやってきた…!徳川家の者がそう考えるのも無理はないかもしれません。

しかし、少し視点を変えると、これらの「命令」には全く違った意味が見えてきます。

桶狭間の後、家康はお市の方を娶りませんでしたが、結局は今川を裏切り、信長につくことを選びます。
(大切な妹を嫁にやるというのは、信長からすればこの上ない誠意だったでしょう)

その結果、家康は今川家という沈みかけた泥船から降りることになりました。

もし信長の「命令」がなく、織田家に居場所を得られなければ、おそらく家康は駿府に戻り、武田家の駿府攻めに飲み込まれて氏真もろとも死んでいたでしょう。


織田家についた家康は、信長の「命令」に従って、今川家を切り取りにかかりました。
その結果、武田家も喉から手が出るほど欲しがった豊かな土地が、いくつも徳川家の領土になりました。
今川家をそこまで追い詰めたのは信長で、家康は成果を譲られた形ですが、信長は恩に着せることもありませんでした。

せっかく手に入れた浜松でしたが、家康はその価値と危険性を充分理解していませんでした。
武田の工作員が蔓延り、領内は徳川家の憎悪で満ちていました。
内部崩壊する前に手を打てたのは、信長の「命令」のおかげでした。

京都に呼び出された家康は、信長の「命令」で、浅井とともに幕府軍の初陣に参加しました。
もしも浅井が裏切らなければ、戦下手の朝倉家を圧倒的な兵力差で蹂躙するだけで、織田、浅井、徳川が新幕府の中心だと各国に示すことになったでしょう。

ざっと挙げてもこれだけの手助けを、信長は家康にしてきたのです。

それでも信長は、家康とは対等だという建前を守ってきました。
世話を焼きはしても、あくまで兄貴分と弟分の範囲。
家康とは対等でありたい、というのが信長自身の願いだったからです。

しかし家康は今回、信長の助けが足りないと怒り、助けなければ手を切るとまで言い出しました。

これは信長にはショックだったでしょう。

家康の中で、いつの間にか信長に助けられることが当然になり、自分の力で戦うことを忘れてしまった。
いつか武田勝頼が攻めてくることは分かっていたのに、大した手も打たず、かつて信玄にやられたのと同じ作戦で追い込まれている。

家康は3年間何をしていたのか。

今度は信長が来てくれると甘えて、自分で三河を守ることさえしなくなったのか。そこまで依存させてしまったのか。


でも家康の認識は、信長が思っていたよりさらに酷なものでした。

長篠城を巡るやり取りと、
その後の家康の
「わしは自分の力で三河を守ってきた」
「今まで織田が徳川に何をしてくれたんじゃ!」
という言葉。

家康はそもそも、信長に助けられてきたという認識すらなかったのです。

暗に家康を助け、それが兄と弟の絆だ、と信じていた信長にとって、これほど悲しいことはありません。

信長は、自分と決別しようとする家康に、最後
「ならばそれでよい」
と言いました。

それはおそらく、怒りでも、宣戦布告でもありません。諦めです。

自分がこれまでどれほど家康を助けてきたか。それを説明したら、恩を盾にして、慕えと命じているようなもの。
家康が自ら信長を慕うのでないのなら、もう意味がないのです。

家康の恭順を最後に、信長の世界はついに敵と家臣だけになります。
そして信長は天下に武を布き、いずれ敵をすべて打ち倒す。
日の本の大名は、みんな信長の家臣になる。

信長は家康との関係を清算して、誰とも対等にはなれない、孤独な支配者になる道を選びました。

……言ってよぉぉおお!!!!!
なんでそんな不器用なんだよぉぉお!
言ってくれたら絶対家康分かってくれるのにぃぃぃいい!
心が清すぎるのよ…信長…

絶対今日の夜枕を濡らしながら寝るじゃん…

どうして長篠城の重要性に気づけなかったのか

これは浜松城の時にもありました。

獲得した当時、家臣である酒井忠次に城主を務めさせようとしていた家康を強引に浜松城(岡崎城)へ移り住ませました。
この時も家康はぷんぷん。

そう浜松城のことといい、長篠城のことといい、家康はあまり戦略的な見方で城を見ることがないように思います。

前回も今回も、理由のわからない信長の命令だと仕方なく言うとおりにしています。

この城の見極めの違い…家康と信長の欲の違いから生まれているのではないでしょうか。

家康の欲は、三河を守ることです。
今ある地を大事に治めようと尽力しています。

対して信長の欲は、織田領を広げることです。
どこを攻めたら落としやすいか、どの場所がこの戦で重要な地になるかを常に考えています。

その差が、城に対する評価の違いが生まれているのかなと思います。

常に攻め手を考えているからこそ、相手がどこを狙ってくるかわかり、守り方も見えてくる。
な…なんか…かっこいい…!それをサラッとやっちゃうところにもカリスマ感あふれるな…信長…

まとめ

何年後でもいいから、どうする家康、織田信長視点ドラマ「愛する家康」やってくれないかなぁ
家康と信長の気持ちを交互に見て悶えたいんだけど…

どうする家康第21話!
家康への愛が深いからこそ信長が傷ついたのも分かるし、焦って相手の気持ちを考えられなくなってしまった家康も分かる…
特に命がかかっているからこそ、余裕がなくなって、無意識によくない行動しちゃうことってあるよね…

なんかなー!もっとな!信長も言葉にしてくれたらいいのになあ!
それでもやっぱり家康が狙いに気づくべきなのかしら…大名って大変だぁ…

なんとか二人のわだかまりが解けて、また溺愛信長振り回され家康に戻りますように…!

とりあえず鷹狩りデートSPとか放送してほしい

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この記事を書いた人

初めまして。
もちもふたと申します!
九州から上京して5年…たくさんの美味しいものに出会い、たくさん楽しいことを知りました…
でも記憶力ないからすぐ忘れてしまう。
忘れたくないなぁ。
日記を書いてみよう。
せっかくだからずっと憧れだったブログ書いてみたい!
と思い、作成しました!

美味しいお店や、コスメ、映画や物語の感想などなど、書きたいときに書きたいことをちょこちょこと書いていきたいと思います。

読んでいただけると嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします。

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