「第9回のどうする家康」は大好き推し正信が退場してしまい、悲しみに包まれました。
帰ってきて…正信…君の悪知恵、君の屁理屈最高なんだ…性格も完璧さ…
君が考え事をするときにほっぺを交互に膨らますのかわいすぎて、nhkに正信ほっぺ集を作っていただきたい…
正信の「己の妻と子を助けるために戦をするような御方…」というセリフでハッとさせられた今回!
家康を無邪気に応援していた自分には耳が痛い……
これからの意識の変わる第9回になりました。読んでいただけると嬉しいですー
(※こちらの記事は2023年3月5日放送の記憶を頼りに書いていますので、間違っている箇所があるかもしれません。ニュアンスで書いているセリフやストーリーがあります。ご了承ください。)
今までの無邪気家康応援を反省する第9話…
正信のセリフ。
「毎日たらふく飯を食い、己の妻と子を助けるために戦をするような御方には、日々の米一粒のために殺し合い、奪い合う者たちの気持ちはお分かりにならんのじゃ。仏にすがるのは現世が苦しいからじゃ。生きているのがつらいからじゃ。殿が…お前が民を楽にしてやれるのなら、だーれも仏にすがらずに済むんじゃ。そのために民はお前にたらふく米を食わせているんじゃ。己はそれをなさずして、民から救いの場を奪うとは何事じゃ!この大たわけが!」
これを聞いてはっとしました。
たしかに民は自分の妻や子がさらわれようが、殺されようが、声をあげても何も変わることがない。
第一捕まったとしても人質として生かされることもなく、殺されたり、ひどい目にあって捨てられたりなどの悲惨な状態に陥ることの方が多いでしょう。
裏切りがあった後はわかりませんが、瀬名たちは、寝床もある、食べ物もある状態で暮らせている時点で、民よりも贅沢な生活ができていたのかもしれません。
今日生きるためのご飯があるかわからない人たちが多数の世界において、自分の愛する人たちのために立ち上がるという行為、そもそもその選択肢を持っていること自体が、とてつもなく贅沢なことなのかぁ…とぼんやり考えて兄と話したとき、言われました。
ほぁー!その発想はなかった!
思ってたー!めちゃめちゃ思ってたー!
がんばれー家康―!負けるなー!
はぁ…奪還できた…!よかったねぇ…よかったねぇ…涙
家康と瀬名と子供たちが同じお屋敷に住んでる!にっこり
の情緒の流れで見てた…
前回書いた瀬名奪還作戦田鶴で失敗…の記事でも、
「今週のどうする家康は、新しいキャラクターにテンションが上がったり、誰かが作戦を漏らしてしまわないか不安でいっぱいになったり、忍びが壊滅して絶望したりと感情がジェットコースターみたいに振り回されっぱなしの5話でした!」
【どうする家康5話・考察】最後の表情について考えてたら田鶴の瀬名への深い愛情に気づいた…あの子を抱きしめたい【大河ドラマ】 http://mohumochita.com/2023/02/09/post-1427/
と、はちゃめちゃに家康側に立ちながらドラマを楽しんでいるし、
三河一揆の始まりとなった空誓上人の記事でも
「穏やかで心優しくて、争いを好まないあの家康公が!
【どうする家康7話】家康VS空誓上人…断然家康の味方だ!!!がんばれぇぇええ mohumochita.com/2023/02/21/post-1489/
家族を人質に取られ、今川と戦うなんて嫌だ嫌だとのたうち回りながら!
三河の独立のために、民の未来のために戦いを選んだんだぞ!」
と、完全に家康の肩持ちまくってました…
忍びたちは、自分たちの妻や子供たちがご飯を食べられるように、わずかなお金のために命を賭けていました。民の納める年貢だって、長く今川に支配され、口減らしが横行するほど余裕のない中で、どうにか絞り出されたお米です。
そんな貴重なものを、家康は自分の妻や子を助けるために使っていたのに、私は何も気づくことができずに、これは心優しい戦いだと思って、力いっぱい応援してしまいました。
うぅう…っ突きつけられるときつい事実…
今まで狭い範囲しか見ることができていなかった。
家康の目に映る範囲の登場人物だけを応援して、心配して、その裏で働いてくれている民や、名もなき兵士たちのことは頭になかった。
家康の母、於大の方が言っていた「主君たるもの、家臣のためならば、己の妻や子ごとき平気で打ち捨てなされ」という言葉の意味がようやく分かりました。
私は家康の純粋な気持ちに感動したし、大好きですが、それは他人事だからです。
実際にあの時代に生き、主君を選べるのであれば、今の家康が選択肢に入ることはないでしょう。
「愛する妻や子を助けに行くのは民の美徳であって、領主の美徳ではない
なぜなら、領主の力は「個」ではない
民が願いを込めて委任したものだからだ」
これが家康に求められる主君の姿…
あまりに酷…辛すぎ…主君大変すぎる…
よく描かれる家族のための戦いや愛するもののための戦いは、余裕があって初めて拍手を送れるものなのか…
「民を守り、家臣を守る、国を一つにする」という言葉を、家康はこれまで、具体的な想像をしないで使っていたのだと思います。
本人は真剣に言っていたのかもしれませんが、そこには実感がなかった。
悪い言い方をすれば、口だけのセリフだった。
今回の一揆を通じて、民の苦しみの大きさと、領主の責任の重さを肌で感じ、本物の信念になった。
これから口にする彼の「厭離穢土欣求浄土」は、責任の伴った言葉になっていくのだなと思います。
ここがしびれた「どうする家康」の脚本
そしてそしてここがすごいなと思った「どうする家康」の脚本なのですが!
この家康の目線、視聴者の目線とぴったり重なっていると思うのです!
少なくとも私は、まだ中身のない、美しいだけの「民を守り、家臣を守る、国を一つにする」というセリフに簡単に感動し、家康をほめたたえていました。
それが今回、家康が正信に叱られると同時に、そんな家康を応援していた視聴者(私)もドキッとさせられ、家康が自らの浅はかさを知ると同時に、視聴者(私)も「民の暮らし」を見落としていたことに気づくのです…!
え…すごいを通り越してもはや怖いのだが…
何食べたらこんな脚本思いつくの…?
これからは家康の背負っていく重みを、しっかりと視聴者(私)も一緒に感じながらドラマを見ることができると思います。
まとめ+正信のかっこいいところ
民を守る、家臣を守る、国を一つにするという言葉を口にしていたとき、家康はどこまでを「民」や「家臣」や「国」の範囲に含めていたのでしょう。
今回の一揆で今まで見えていなかった、兵士一人一人の想い、民の暮らし、民の苦しみが可視化され、初めて「国を一つにする」という主君の仕事の大きさや辛さがのしかかってきたように思います。
がんばれー!家康―!
そして最後に、正信かっこいいポイントをつづりたい…
個人的な想像で申し訳ないのですが、正信自身は一向宗の信者に見えないのが好きです。
彼は信じている子の信じているものを大事にしている感じがするんです。
一向宗の軍師となり、家康に銃を向けたのも、もう彼女にできることは、彼女が信じていたものを汚されないよう、壊されないよう守ることだけだから…
うおおおお、正信―!なんてやつだ正信―!
ディズニーのタートルトークでクラッシュと一緒に「最高だぜー!」「うおー!」ってやりたい…
↓前回家康の肩を持ちまくって書いた第7話の記事です。
家康は家康なりに民のことを考えて不入の権を侵したんだと思うんです…間違っていたけれど…
三河一向一揆を家康の苦悩の面から見た文章になります。
↓どうする家康の考察が増えてきたので、まとめを作りました!(うれしい)
第4話ムロ秀吉のかっこよくて、尊い家康のこと・第5話田鶴の優しく賢いところなどなどつづっていますので、お時間ありましたら、ぜひ読んでいただけますと!
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