ラ・マンチャの男を観てきました!
こんにちは、もふもちたです!
10月の終わりごろ、「ラ・マンチャの男」を観に行ってきました。
友人と見に行ったのですが、面白かったですね!好きな作品でした。
正確に言うと、観てる最中よりも、終わって数日してからの方が好きがあふれました。
終わって兄に、自分が好きだったシーンの話をしたんです。
そうしたら自分の中で整理されて、「うん、まあ好きだったかな」という感想が、「いや、もうたまらん、好き」になりました。
アウトプット大事…聞いてくれてありがとう。
でも、この好きを、二人の中で終わらせたくない。
ちょっとでいいから聞いて欲しい。
ということで、私が好きだったシーンを聞いてください。
お願いします。
舞台「ラ・マンチャの男」とは…
先に「ラ・マンチャの男」について軽く説明。
ラ・マンチャの男、なんと主人公じゃないんです!
驚き!
絶対ラ・マンチャさんの話かと思ってた。
明かりがついて見えてくるのは、暗く薄暗い、牢獄。
そこにはたくさんの囚人たちがうごめいています。
そんな牢に収容されてくるのが、主人公の「セルバンデス」。
この人は教会を侮辱した罪で、従者とともに宗教裁判が行われるまで牢に入れられます。
周りのみすぼらしい囚人たちと違って身なりのいい二人は、囚人たちの格好の餌食になります。
物を盗んだり、カバンを取られたりしてしまいます。
加えて、普段楽しいこともないのでしょう、また縄張り意識も強いのでしょう、「宗教裁判の前に私たちがお前の裁判をする」と言い出します。
なんとかこの場を収めたいセルバンデスは、「私は詩人で、役者である。今から即興劇を見せるから、それを見て判断してくれ。ここにいる皆さんにもぜひ劇に参加していただきたい」と提案します。
そこで始まるのが「ラマンチャの男、ドン・キホーテ」の物語。
舞台は、物語(ドン・キホーテ)の世界と現実(セルバンデス)の世界が入り乱れる形で進んでいく…。
といった形です。
伝わるかなぁ…。伝われ!
うん!わからん!という方は、ホームページを見てみてください。
あっちは本物なので、とても分かりやすいです。さすが!
<公式>https://www.tohostage.com/lamancha/
<作品解説>https://www.tohostage.com/lamancha/intro.html
好きなところ!
はーやっときました。
好きなところを言う時間。
好きなところ、2つあるんです!わーい!
これ言いたくて上のやつ書き始めましたから。
もうすっ飛ばして、これだけ読んでくれるだけで、もう嬉しいの極です。
あ…セリフ部分は何となく覚えているのをニュアンスで書いていますので…そこはご了承いただけますと幸いです。
好きなところ1つ目「あばずれ女のアルドンザ」
アルドンザは、ドン・キホーテが立ち寄る宿屋にいた女性です。
あばずれで、周りからも雑に扱われています。
しかしドン・キホーテだけは彼女が「憧れの麗しき姫ドルネシア」に見える。
彼だけが彼女を姫扱いし、体も言葉も求めません。
ただ在るだけで、守れるだけで幸せだと言ってきます。
アルドンザは、最初は耳を貸しませんでした。
ただの老人の戯言で、また本気で言っていないと思ったのでしょう。
つっけんどんな態度で、ドン・キホーテをあしらいます。
しかし、ドン・キホーテはやめない。
ただ姫を思い、自分に優しくしてくれます。
今まで蔑まれて生きてきた、それに慣れていたアルドンザは、その初めてのやさしさを、戸惑いながらも少しずつ受け入れて自分を変えていこうとします。
その矢先でした。
自分を変えよう、凛と生きようとしたとき、アルドンザは襲われてしまいます。
その凛と生きるための行動によって、襲われてしまいます。
10人ほどでしょうか、大勢の男性から一気に。
そんなことが起こっているなどと知らないドン・キホーテは、従者と一緒にお話をしています。
そこに髪も洋服も引きちぎられボロボロになったアルドンザが現れます。
ドン・キホーテがその姿を見て驚き、嘆き悲しみ、困惑します。
「麗しき姫ドルネシア…どうして…ああ…麗しき姫」
その言葉を聞いてアルドンザは叫びます。
「お前の言葉など聞くのではなかった。私は姫などではない。あばずれ女だよ。あいつらにひどく扱われているときよりも、お前に優しい言葉をかけられているときの方がずっとつらかった。」と。
この言葉を聞いた時、ああ、悲しいなと思いました。
手の届かない姿に勝手に重ねられ、「君は純白で、本当に美しい。姫姫―」と言われたら、自分との違いがより浮き彫りになってそれが突き刺さって「違う!やめろ!」ってなるなぁ…
つらいなぁ…悲しいなぁ…
でも待ってください。これ続きがあるんです。
それは「物語」の最後のシーン。
ドン・キホーテが自分は騎士ではなく、ただのおいぼれだと気付いてしまいます。
そのショックで床に伏し、また騎士として生きていた時の記憶も失ってしまいます。
従者にドン・キホーテの話をされても、全く覚えがありません。
その時、それを聞きつけたアルドンザが、彼のもとを訪ねます。
そしてその手を取りながら「私だよ。アルドンザだよ。私のことを姫だと言ってくれたじゃないか。」と泣いて訴えます。
でも思い出してくれません。
するとアルドンザは、初めて自分から「ドルネシア」と名乗り歌います。
それを聞いて老人は自分がドン・キホーテであったこと、そして彼女のことを思い出すんです。
あっ…ああ…いい…
そのシーンで思ったんですよね…
あ、ドン・キホーテの優しい言葉はアルドンザを傷つけていたけれど、同時に救っていたんだなぁって。
そして、彼女、最後のシーンではとてもきれいな格好をして出てくるんです。
恐らく姫に、ドルネシアになろうとしているのじゃないかなと。
自分はそんな女じゃないと言っていた女性に、頑張ってなろうと、自分を変える努力をしているんだろうなと思いました。
またね…ドン・キホーテの前だから、より力を入れて美しい女性になろうとしているんじゃないかとね…思う…とね…好き
もう…アルドンザ…
好きなところ2つ目「われらは二人ともラ・マンチャの男です」
次に好きなところは現実の最後のシーンです。
「ドン・キホーテはお前の兄弟か?」と聞かれて、セルバンデスが「われらは二人ともラマンチャの男です」と答えるシーンです。
私このシーン、何を意味しているのか分からなかったんです。
ん?本当に兄弟なの?それとも心の兄弟的な?って混乱しました。
そしたらね、兄に話したら解決しました。
兄が「ドン・キホーテの話は現実のものであるとしたかったんじゃない?」って言ってくれまして。
あ…それだ…その演出好き…それにしようって私の中の解釈を決めました。
よくわからないシーンが、好きなシーンに変わりました。
ラ・マンチャ!!!
以上が「ラ・マンチャの男」の好きなところです!
途中セリフが聞き取りづらいところがあったり、休憩なし場面転換なしでずっとおなじ舞台で行われたりと、眠くなる瞬間もあったのですが、(←カフェインを飲むと眠くなる体質なのに、それを忘れて直前に紅茶を飲んでしまったというのもあると思います。)
結果としては、見に行ってよかったと思います!
最後ものすごい歓声で、それに応えて3曲ぐらい歌ってくれたのもうれしかったなぁ。
もとから予定されていたのかもしれませんが、やはり応援の気持ちや感謝の気持ちを伝えることって大事ですね。
ちなみに…座った席はB席
席はB席の一番後ろ(L列の21番)で、少し左よりの席でした。
チケット取るの観劇の日の20日前とかだったから…
でも全体が見渡せて、特に問題なく見れました!
さすがに表情は見えないので、細部に注目したい方はオペラグラスを用意した方が良いと思います。
帝国劇場のチケットを購入する際、参考になればうれしいですー。
おわりに
あまり舞台を観に行くことってないのですが、楽しいですね!
また観に行きたいなぁ。
ここまで読んでいただいて、ありがとうございました!
コメント
コメント一覧 (1件)
とても素直で面白い文章ですね!
ドルネシアの名乗りのシーンが最大のクライマックスだと考えると、
物語(ドン・キホーテ)の世界が表、現実(セルバンデス)の世界が裏でしょうから、
「ラストシーンの役割は、ドン・キホーテの物語を現実のものに見せることである」という考え方には説得力があると思います。